ヒーリングとサイキック

情報空間とは|言葉や文字には霊力が宿る

「検査の結果、問題はありませんでした」

一つの言葉を聞いただけで、身体の力が抜けたり、急に目の前が明るく見えたりすることがあります。

その瞬間、周囲の物理的な状況は、ほとんど変わっていません。ある情報を受け取っただけです。

けれども、その情報によって呼吸や身体の緊張が変わり、未来の見え方が変わり、次の行動まで変わります。

情報は目には見えません。しかし、人の意識や身体を動かし、その人を通して現実を動かします。

私はその意味で、情報もまたエネルギーであると捉えています。

そして、日本人が古くから言葉や文字に霊力を感じてきた背景にも、この情報の働きがあるのではないかと思っています。

現実を動かしているものの正体

私たちは、目に見えて、手で触れられるものを現実だと思いがちです。

しかし、現実を動かしているものは、物理的に触れることができないものの方が圧倒的に多いのです。

一万円札は、物理的には印刷された紙です。それでも商品やサービスと交換できるのは、多くの人が「これには一万円分の価値がある」という情報を共有しているからです。その情報が失われれば、一万円札はただの紙切れです。

会社、国家、法律、契約、資格、肩書、信用も同じです。物理的な形を持つ部分はあっても、それらを現実の中で機能させているのは、人々が共有している意味や関係性といった情報です。

実は私たちの現実は、物質よりも、意味、記憶、信念、価値、関係、可能性といった、目に見えない情報が占める割合の方が圧倒的に大きいのです。

むしろ、私たちが現実だと思っているものの正体は、視覚や聴覚といった五感を通して知覚したごく一部の情報でしかない、と言い換えることができるかもしれません。

この膨大な情報が存在し、働いている領域を、情報空間と呼ぶことができます。

苫米地英人博士は、人間が生きている世界を、目に見える物理空間だけではなく、情報空間まで含むものとして説明しています。

情報空間は、物理空間から離れた不思議な別世界ではありません。

むしろ、目の前の現実が形になる、その手前にあるものです。

家を建てる前に設計図があるように、私たちの行動や現実の手前にも、目には見えない情報があります。

「自分はどのような人間なのか」 「人は信用できるのか」 「自分は幸せになってよいのか」

こうした情報を通して、私たちは目の前の出来事を見て、意味を与え、選択しています。

情報空間とは何か

私は、この情報空間を、無意識の領域と重ねて捉えています。

無意識には、過去の記憶だけでなく、親や学校、社会から受け取った価値観、自分自身に対する評価などが書き込まれています。さらに、祖先から受け継いだDNAや、心臓や内臓を動かしている情報も含まれます。

同じ出来事を経験しても、人によって受け取り方が違うのは、それぞれが異なる無意識の情報を通して現実を見ているからです。

誰かから返信が来ない時に、「忙しいのだろう」と思う人もいれば、「嫌われたのかもしれない」と不安になる人もいます。

起きている出来事は同じでも、体験している現実は違います。

私は、この意味でも、人はそれぞれ「一人一宇宙」を生きていると考えています。

現実だと思わされている情報

苫米地博士は、人間のホメオスタシスは身体だけでなく、情報空間にまで広がっていると説明しています。

身体が体温を一定に保とうとするように、無意識もまた、自分にとって当たり前になっているセルフイメージを維持しようとします。

そして、そのセルフイメージから外れたものは、見えなくなります。

苫米地博士は、この心理的な盲点をスコトーマと呼んでいます。

無意識が重要だと判断していないものは、意識に上がってきません。

出かける前に、鍵や定期券が急に見つからなくなることがあります。苫米地博士は、そういう時は、そもそもそこへ行きたくないのだ、と話しています。行きたくない場所へ向かうための鍵は、無意識にとって重要ではないので、本当に見えなくなる。

思い当たる経験のある方も、いらっしゃるのではないでしょうか。

私たちは、情報空間に存在するすべての情報を知覚することができません。 情報が、あまりに膨大だからです。

そこで無意識は、重要だと判断した情報だけを選びます。私たちは、その選ばれた情報を自分の現実として体験しています。

「自分には無理だ」という情報が深く入っていれば、可能性が目の前にあっても見えません。

反対に、「自分ならできる」という情報が当たり前になれば、それまで氣づかなかった方法や機会が見えるようになります。

情報が変わると世界線が変わる

情報空間が変わっても、物理空間が魔法のように一瞬で入れ替わるわけではありません。

私たちの内側の情報が変わると、まず見えるものが変わります。

見えるものが変わると、身体の反応や感情が変わります。そこから言葉、選択、行動が変わり、出会う人や向かう場所も変わっていきます。

その積み重ねによって、体験する現実の流れが変わります。

私が世界線が変わると表現しているのは、突然どこか別の異世界へ移動することを意味しているのではありません。

一見すると同じ世界の中にいても、それまで見えなかった可能性が見え、以前なら選ばなかった道を選ぶようになる。その結果として、たどる未来が変わっていく。

そして、その歩みを後から振り返った時に、別の世界を生きてきたことを実感するのです。

別の可能性は、突然どこかから作り出されるのではありません。すでに情報として存在していた可能性が、無意識の変化によって見えるようになり、その世界線を選べるようになるのです。

苫米地博士は、この変化を、努力や根性で起こすものとしては説明していません。

自分にとって当たり前のセルフイメージが変われば、無意識が勝手に動き出す。心臓が動くことや呼吸をすることを、努力とも根性とも呼ばないのと同じだ、と話しています。

私自身も、力んで現実を変えようとするより、内側の情報が整った結果として流れが変わっていく方が、最終的に大きく変わることを実感しています。

情報空間は、現実の外側のどこかにあるのではありません。現実が生まれる手前にあり、その一部を、私たちは自分の意識として体験しています。

だから現実を変えたい時、目の前の出来事だけでなく、その現実を生み出している無意識の情報を整えることが、遠回りのようでいて早いのだと思います。

見えない情報をカタチにする言葉

言葉になる前には、まだ形を持たない感覚や意図、そして感情があります。

感謝している。 応援したい。 怖い。 許せない。 この人は大丈夫だと信じている。

そうした内側の情報が、言葉として発せられることで音になり、物理空間へ現れます。

言葉とは、見えない情報を運ぶ器なのです。

だから同じ「大丈夫」という言葉でも、相手を心から信じて発する場合と、「本当は駄目かもしれない」と思いながら発する場合では、伝わるものが違います。

言葉には辞書に書かれた意味だけでなく、発する人の意図や感情、意識状態も乗ります。

私は、この言葉になる前の働きを、日本語の「念」に近いものとして捉えています。

念や意図という情報が、言葉を通して外へ現れ、自分や他者の顕在意識を通じて無意識の領域まで入っていく。

言霊とは、言葉の音だけではなく、この一連の情報の働きまで含むものなのだと、私は考えています。

声は消えても文字は残る

話し言葉は、その場で消えていきます。

しかし、文字として書かれた言葉は残ります。

自分の名前を紙に書けば、物理的にそこにあるのは数本の線にすぎません。それでも私たちは、その文字を単なる図形としては見ません。

名前を入口として、その人の姿、記憶、関係、人生に関する情報が立ち上がります。

文字が、目に見えない情報へつながる鍵になっているのです。

さらに文字は、離れた場所へ情報を伝えます。そして書いた人がその場からいなくなった後も、その情報を残し続けます。

言葉が見えない情報を音として現すものなら、文字は、その情報を物として物理空間へ定着させるものです。音は鳴った瞬間に終わりますが、文字は、時間が流れても残り続けます。

だからこそ、同じ文字でも、何を表すために書かれ、どのような意図を込められ、どのように受け継がれてきたかによって、そこから立ち上がる情報は変わります。

言葉や文字に宿る霊力

日本では、古来から言葉には言霊が宿ると伝えられています。

私は、この霊力を、言葉や文字を入口として、目には見えない情報が人の意識や身体、無意識へ働きかける力として捉えています。

文字を見た人の中に、記憶や感情が立ち上がる。

言葉を聞いた人の身体が、ゆるみ、あるいは緊張する。

一つの言葉によってセルフイメージが変わり、それまで見えなかった可能性が見えるようになる。

その結果、選択や行動が変わり、現実が動いていく。

言葉や文字が、外側の現実へ直接魔法をかけるというよりも、言葉や文字を入口として情報空間が人へ働きかけ、その人を通して物理空間へ現れていく。

それが、言葉や文字に霊力が宿るということの、一つの説明なのではないかと考えています。

言葉は人をつなぐ

そして、言葉は一人だけのものではありません。

本来、他者と情報を共有するために生まれたものです。

もし、この世界に人が一人しかいなかったら、言葉は生まれなかったはずです。

私たちは、自分が生まれる前から使われてきた言葉を受け取り、その言葉を借りて、自分の意識を表しています。

言葉の中には、個人の記憶だけでなく、家族、社会、文化、長い歴史の中で共有されてきた情報も重なっています。

この意味で、個人の無意識も完全に孤立してはいません。

その奥には、他者と共有する集合意識があり、さらに深いところには、個人や集団の境界を越えた超意識がある。

私は、その大きな領域も含めて、情報空間として捉えています。

私たちと、情報空間との関係は、一方的なものではありません。

どの言葉を使い、どの文字を残し、どのような意識を乗せるのかによって、自分や他者の無意識へ、そして共有している情報空間へ、新しい情報を書き加えています。

言葉を選ぶことは、自分が体験する世界線を選ぶことです。

それと同時に、この世界の情報空間へどのような情報を書き込むのかを選ぶことでもあります。

そして、その情報空間が作り出す現実世界でどのような体験を味わうのか。

それを楽しむことこそが、人生ではないかと思います。


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著者|白川愁士(世界線調律所 所長/神社巡拝ヒーラー)

不動産投資家。お金を追い求めた末に、神社参拝が日常となり、結果的に「神社巡拝ヒーラー」となった。現在は三位一体調律(トリニティヒーリング)で心・身体・現実(お金の流れ)を整えている。宅建士・FP保有。 ▶ プロフィール