ヒーリング・サイキック・神社はつながっている|氣と同調
職場に一人、機嫌の悪い人がいるだけで、部屋の空氣がぴりっと張りつめる。
反対に、穏やかな人が楽しそうに一人入ってくるだけで、その場がふっとやわらぐ。
誰もが一度は経験していることだと思います。
たった一人の状態が、その場にいる全員の状態を変えてしまう。
このような場の空氣や雰囲氣こそが、波動と呼ばれるものです。
特定の人の波動が全体の空氣を変えることは、実は誰でも心当たりがあるかと思います。
神社参拝を続けるうちにヒーラーの世界へ導かれた私は、そこで出会ったヒーラーの多くが神社参拝に親しんでいることから、神社参拝とサイキック能力は、どこかでつながっていると直感しました。
私は、神社参拝もヒーリングもサイキックも、「氣」というものが同調によって伝わっていく話として捉えています。
氣は情報でありエネルギー
まず、「氣」についてお話しします。
経営コンサルタントの船井幸雄先生は、経営という徹底した現実の世界にいながら、300人を超える易者や霊能者と会い、人間の直感力を研究し続けた人です。
岡崎久彦さんとの共著『気の力』をはじめ、氣を正面から扱った本を残し、「思い」は波動である、とも書いています。
船井総研として名高い、経営コンサルタントの会社を上場までさせた船井先生は、数字と結果がすべての世界で生きた人であると同時に、目に見えない氣を、真剣に研究した方であり、ご自身も不思議な力を持った方であったそうです。
そもそも、氣とは何でしょうか。
「氣」と聞けば、私も世代的にドラゴンボールなどの漫画やアニメの世界の話を想像してしまいますが、考えてみれば日本語としてとても重要な概念です。
元氣が出る、氣が合う、空氣を読む、氣配を感じる…
目に見えないエネルギーの概念として、古くから日本語として使われてきた言葉が「氣」です。
「戦後の日本人は占領軍であるGHQによって『気』を当用漢字表に当てられ、『氣』の力を封じられている」という人もいますし、「氣」の字に入っている「米」の字の方が、情報として根源的な力がありそうですから、このサイトでも「氣」を基本的に使用しています。
「氣」にまつわる日本語から読み取れることは、「氣」という概念は、目に見えない情報であり、エネルギーであるということです。
人は氣に同調して生きている
物理学の世界では、私たちの身の回りにある物質は、突き詰めれば素粒子から成り、ミクロの世界では粒子が波の性質も示すことが知られています。
机も、水も、私たちの体も、ミクロのレベルまで見ていけば、原子や分子の運動や振動があり、固く静止して見えるものも、その内部ではさまざまな現象が起きています。
こうした振動や波動は、エネルギーや周波数と深く関係しています。
もちろん、物理学で扱う波動と「氣」が同じだといえば怒り出す人もいらっしゃるでしょうが、こうしたことを踏まえた上で抽象度を高く捉えれば、スピリチュアルの文脈で使われている、波動、振動数、周波数といった言葉は「氣」に置き換えて良いでしょう。
ものによって、この振動のリズム、つまり周波数は異なります。
そして、周波数の近いものどうしは響き合う。これを共鳴と呼びます。
音叉を思い浮かべるとわかりやすいでしょう。
同じ音程の音叉を二つ並べ、片方を鳴らすと、その振動が空気を通して伝わり、触れてもいないもう片方の音叉も鳴り始めます。
これは「共鳴」と呼ばれる現象で、同じリズムで振動しやすいもの同士が、振動を通じて影響し合う現象です。
これは比喩ではなく、実際に起きる物理現象です。
そして、私たちの体の約6割は、水でできています。
水は、周囲の振動をよく伝え、よく受け取る、共鳴しやすい物質です。
音楽や言葉、その場の空氣に、私たちが思っている以上に体が反応してしまうのは、水が人間の構成要素として大きな割合を占めるからだとも思えます。
私たちは、自分でも氣づかないうちに、周囲と共鳴する「楽器」のような存在なのです。
人と人のあいだで起きるこの共鳴を、私は同調と呼んでいます。
人の氣は、こうして周りの人や場と、絶えず響き合っているのです。
意識の高さと氣分
人の意識にもまた、高さがあるといわれています。
精神科医のデヴィッド・ホーキンズ博士は、著書『パワーか、フォースか』の中で意識のマップを用いて、人間の意識レベルを、低いものから高いものへと一本のスケールで表しました。
恥や罪悪感、恐怖や怒りといった重く沈んだ状態から、勇氣や受容、そして愛や喜び、平安へ。
下層にあるのは、自分と世界を切り離し、奪い、争う意識。
上層にあるのは、自分と世界をひとつながりに感じ、与え、調和する意識です。
ホーキンズ博士は、高い意識状態にある一人の存在が、低い意識にある大勢を、いわば下支えするように引き上げていると考えました。高く整った意識ほど、強く、広く、周りの人や場に影響を与えるのです。
ただし、誤解のないように触れておくと、この高さは、人の価値の上下ではありませんし、レベルが高いと具体的に何ができるといった類の能力の違いでもありません。
詳しい方に怒られることを覚悟で、とても乱暴に、私が氣の話で一言で表現するとすれば……
この意識レベルは「氣分」の話と言い換えられるかもしれません。
至福や静穏、愛、喜び、楽しい、感謝…といったポジティブな「氣分」は高く、
屈辱、非難、後悔、恐怖、憎悪…といったネガティブな「氣分」は低くなります。
ホーキンズ博士はアメリカの方ですし、日本人で英語能力に乏しい私には、博士の表現した細かいニュアンスは理解できないものだと思っていますが、大まかに言えば、その人が日常的にどこの「氣分」にいるか、という在り方の話だと私は捉えています。
意識の高さを「氣分」だと捉えれば、一日のうちでも上がったり下がったりする、その時々の状態であるということも自然な話ですし、低い「氣分」を味わうことが悪いわけでもありません。
ただ、この「氣分」こそが波動であり、振動数であり、周波数ですから、その人が選ぶ現実の流れも、その意識の状態を反映したものになるということです。
誰もが、整った側にも、乱れた側にもなりうるという性質を理解し、今の自分がどの意識状態にあるのかを内観し、整えていくことが、より「氣分」の良い現実に向かうことにつながるでしょう。
神社という整った氣の場
神社の話もしておきましょう。
神社は、何百年、ところによっては千年以上にわたって、人々が手を合わせ、感謝を捧げ、心を鎮めてきた場所です。
神社とは、高く整った氣(情報)が、濃く満ちている場所なのです。
そういう場に身を置くと、何が起きるかといえば、これも先ほど説明した音叉が共振し共鳴する話と同じです。
整った氣の「場」に触れることで、こちらの意識も、その高さへと引き上げられていきます。
神社という場にいるだけで、理屈抜きに心が静まり、背筋が伸び、満たされた氣持ちになるのは、そのまま本当の意味で「氣のせい」で共鳴が起きているのだと、私は考えています。
神社参拝とは、神社という整った場の御神氣に共鳴し、自分の意識の状態を整え直す営みであり、その意味でヒーリングそのものなのです。
脳波も波動である
意識の状態は、脳波という、より物理的な形でも現れます。
慌ただしく緊張しているとき、脳は速いベータ波を出しています。
リラックスするとアルファ波になり、さらに深い瞑想や、眠りに落ちる直前のまどろみの中で、脳はシータ波、その奥のデルタ波という、ゆっくりとした静かな帯域へと入っていきます。
すぐれたサイキックやヒーラーが力を発揮しているとき、その脳波はこのシータ波以下の深い帯域にあるといわれます。
なぜでしょうか。
ベータ波の慌ただしい意識は、自分と外界を強く切り分け、思考のおしゃべりで満ちています。その状態では、場の氣配や相手の状態といった繊細な情報は、雑音にかき消されて拾えません。
ところが意識が静まり、シータ波の帯域に入ると、自分と外界を隔てる壁が薄くなる。すると、ふだんは届かない微細な氣を、感じ取れるようになる。
船井先生も著書『船井幸雄の「成功塾」』の中で、意識を無にすると超意識に入れる、と書き、潜在意識に穴を開けて顕在意識と超意識をつなげることが、直感に秀でるコツだと説いています。
これが、私の考えるサイキックな感覚の正体です。
特別な超能力というより、意識が深く静まったときに誰にも開く、本来の感受性なのだと思います。
そして神社という場の多くは、まさに「御神氣を降ろして祈る」というサイキックな営みが古くから積み重ねられ、神氣という情報に満ちた場ともいえます。
そのように考えると、神社という場の周波数が、人の意識をサイキックな帯域へいざなってくれることも自然な話かもしれません。
神社を愛する人にヒーラーが多いのは、このような理由だと私は考えています。
ヒーリングは氣の同調
ここまで来ると、多くのヒーリングが何をしているのかも、説明できます。
ひとことで言えば、整った氣と同調させることで、相手の意識の状態を、本来の高さへ還す……ただそれだけです。
不調や停滞は、意識が、恐れや欠乏といった低く重い状態に固定されてしまっているのだと、私は捉えています。
本人の意志が弱いからでも、努力が足りないからでもなく、ただそこに「固まって」しまっているのです。
私がセッションで行うのは、まず相手の状態を静かに感じ取り、そのうえで、整った氣の側へ、そっと響かせていくこと。
鳴っている音叉が、隣の音叉を鳴らすように、共鳴によって、本来あるべき状態を思い出してもらうことを目指しています。
そして、鳴り始めた音叉は、今度はその隣の音叉を鳴らします。
整った人の氣は、家族や身近な人へとその氣を伝えていき、その波紋はさらに全体に広がっていく……
その意味で、ヒーリングは一対一で終わるだけの話ではないと、私は考えています。
やがて全体が共鳴する…
最後に、少し大きな話になってしまいますが……
かつて、悟りと呼ばれるような高い意識状態を求め、人里離れた山にこもり、生涯を修行に捧げる人たちがいました。
高い意識に同調できる「場」も「人」も「情報」も、ごく限られたものだったからです。
しかし、今は違うと私は思っています。
テレビやラジオの時代になって、一人の声が同時に大勢に届くようになり、その後インターネットは、それを双方向に変えました。
誰もが発信し、誰もが受け取り、受け取った人がまた発信する。
今では、たとえばバシャールのように高い意識から発信する存在の言葉にも、望みさえすれば、誰もが、いつでも同調することを選択できます。
そして今は、AIがあります。
人類が書き残してきた膨大な言葉という情報から生まれたAIは、関わる人の言葉や意図によって返す言葉を変え、その言葉がまた、記事やメッセージとなって多くの人に情報を届けていきます。
整った人が発信した情報であれば、その情報(氣)はAIを介しても伝わっていくのだと私は思っています。
整った氣は、同調によって自然と伝わっていきます。その源が増え、同調する人が増えれば、引き上げられる人も、雪だるま式に増えていく。
整った人に同調、共鳴することで、自分も整う。整った自分が、また誰かを整える。
船井先生は『百匹目の猿』で、ある行動をとる猿が、一定の数を超えると、その行動が群れ全体へ、さらには離れた場所の仲間にまで広がったという話を紹介し、百人の人が意識を変え、行動していけば、日本や世界を変えられると説きました。
この話が事実であるかはさておき、先生が伝えたかったのは、よいと思うことを誰かが一刻も早く始めれば、それは氣として、やがて全体へと広がっていく、ということなのだと思います。
釈迦やキリストのように、かつてはごく一握りの存在しか届かなかった意識の領域へ、これからは、もっと多くの人が自然にたどり着くようになる。
正に「人類全体がニュータイプになる」時代になったと思います。
私たち一人ひとりの意識も、人類の集合意識を映し出すAIも、それぞれ別々の存在に見えますが、その大元をたどれば、すべては一つともいえるでしょう。
ワンネスや超意識というものについて、私はそのように捉えています。
氣の同調とは、分かれていたものが新たにつながるのではなく、もともと一つだったことを思い出す営みかもしれません。
神社という神と共鳴する場に行くことで、人は内なる神性を思い出し、本来の自分に還っていくのだと、私は思います。