現実主義者の私が神社参拝を始めた理由
私が神社参拝を始めたのは、成功哲学を学ぶ中で、斎藤一人さんが先祖供養の大切さを説いていたことがきっかけでした。
先祖供養といっても、特別なことではありません。要はお墓参りです。本当の意味で豊かになっている人ほど、お墓参りを欠かさず、先祖を大切にしている。スピリチュアルとは無縁の現実主義者だった私も、うまくいっている人たちが揃ってやっていることなら、まず試してみようと考えました。
最初に向かったのは、昇仙峡の奥に鎮座する金櫻神社でした。
先祖のルーツが山梨にある私にとって、先祖供養と金運という二つの動機が重なる神社でした。約2000年の歴史を持ち、御神宝も御朱印も水晶。鬱金桜が満開の時期に参拝し水晶のお守りを受けると、生涯金運に恵まれるという伝承が残っています。
しばらくの間、私の参拝は金櫻神社一択でした。あちこちの神社に「お願い」をして回るのは、なんとなく節操がない氣がしていたのです。いろんな神社の御朱印集めも、当時は正直、軽蔑していたくらいでした。
転機は、神社参拝の意味が変わった時でした。
何かの折に武田邦彦先生から、「日本人にとっての神様は大自然、もしくはご先祖さま」と聞いたとき、妙に腑に落ちたのです。
そのときから、神とは遥か遠い先祖そのものだと考えるようになりました。だとすれば、神社に行くことは、実家に帰るようなものです。
祖父母は、孫が可愛い。だから「お願い」も聞いてくれるし、お年玉もくれます。
でも、お年玉目当てに正月だけ顔を出す孫と、年に何度も訪ねてきては、何も願わず「いつもありがとうございます」と伝えに来る孫。祖父母は、どちらをより愛おしく思うでしょうか。
神や先祖が、大いなる存在としていつも自分を見守ってくれている。それを本当に信じているなら、参拝は「お願いしに行く」ものではなくなります。ただ、感謝を伝えに行く。それが自然になる。
そう氣づいたとき、色々な神社とご縁を持つことの意味が変わりました。そこから、日本中の神社にいらっしゃる八百万の神様とご縁を頂くことが、私自身の使命のように思えてきたのです。
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