現実主義者の私が神社参拝を始めた理由
今では神社を巡ることが、私の日常の一部になっています。
けれど、もともとの私はスピリチュアルなものを無条件に信じるような人間ではありませんでした。
むしろ徹底した現実主義者です。
不動産投資をするために、数字と現実を見て判断する。
そんな私が神社参拝を始めたきっかけは、経営者の「成功哲学」でした。
成功哲学から先祖供養へ
成功哲学を学んでいた頃、お金が欲しかった私は、納税日本一の経営者でお金持ちの斎藤一人さんの話をよく聞いていました。
この頃の私の判断基準は何より実績です(笑)。
公表されている納税日本一のお金持ちが語る成功法則なら間違いないだろうと思っていました。
斎藤一人さんは、先祖供養の大切さを説いていました。
先祖供養とは、まずお墓参りです。
言われてみれば、世の中で本当に豊かになっている人を見ると、ご先祖さまを大切にしている人が多いことに気づきました。
当時の私は、
「うまくいっている人たちが共通してやっているのなら、自分もやってみる」
くらいの感覚でした。
信じるかどうかより、まず試した上で判断するのが私の主義です。
このあたりは今もあまり変わっていませんが……(笑)
そして、ご先祖さまへ意識を向けるようになったことが、私を神社へ向かわせる最初のきっかけになりました。
始まりは金櫻神社
私が最初に繰り返し参拝したのは、山梨県の昇仙峡の奥に鎮座する金櫻神社でした。
私の先祖のルーツは山梨にあります。
さらに金櫻神社には、水晶や金運にまつわる伝承があります。
先祖供養と金運……
当時の私にとって、この二つが重なる神社が金櫻神社だったのです。
お金のための先祖供養で神社参拝……ご先祖さまに怒られそうですが、そのくらい当時の私は周波数が低かったのです(苦笑)。
ただ、その頃の私は現在のように色々な神社を巡っていたわけではありません。
むしろ逆でした。
金櫻神社一択です。
あちこちの神社へ行って、そのたびにお願い事をすることに、なんとなく節操のなさを感じていました。
御朱印を集めながらたくさんの神社を巡る人を見ても、
「スタンプラリーじゃないんだから」
くらいに思っていました(笑)。
今から考えると、本当にわかっていなかったのだと思います。
神社を「お願いを叶えてもらう場所」として見ていたからです。
神様は遠いご先祖さま
その考え方が変わったきっかけがあります。
武田邦彦先生から、
「日本人にとっての神様は、大自然、もしくはご先祖さま」
という話を聞いたことです。
この言葉が、妙に腑に落ちました。
日本では、山や海、岩、滝、太陽といった自然そのものを神として祀ってきました。
そして、神話に登場する神々や歴史上の人物、ご先祖さまにつながる存在も神として祀られています。
考えてみれば、計算上はどこの神社に祀られている神様も、遥か遠いご先祖さまとしてご縁のある存在であることに気づきます。
そう考えた瞬間、神様との距離が一氣に近くなりました。
神社は遠くにいる、畏れ多い存在の神様にお願いに行く場所ではない。
お墓と同じように、ご先祖さまのところへ、顔を見せに行く場所です。
たとえるなら、祖父母の家へ遊びに行くようなものです。
神様の気持ちは祖父母の気持ち
そう考えていくと、神様にどうしたら喜んで頂けるかも、次第にイメージができるようになっていきます。
祖父母は、孫が可愛いものです。
だから、お願いをすれば聞いてくれることもあるでしょう。
お年玉だってくれます。
でも、少し想像力を働かせると……
お年玉をもらうために正月だけ顔を出して、
「今年もよろしく、絶対これが欲しい、あれも欲しい」
と言って帰っていく孫。
一方で、ときどき遊びに来て、
「お変わりありませんか?」
「この前もらったお年玉のおかげで、こんなに楽しいことがありました」
「いつもありがとうございます」
と感謝の気持ちを伝えるために、よく顔を見せてくれる孫。
祖父母からすれば、孫としてはどちらも可愛いでしょうが、違いはあります。
いざという時に応援したくなるのは、やはり感謝を伝えて、いつも顔を見せる孫でしょう。
神様がご先祖さまなら、神様の気持ちも同じなのではないか。
私はそんなふうに考えるようになりました。
祖父母にお願いをしてはいけない理由がないのと同じです。
ただ、次第に普段から神様に喜んでもらえるような人間になった方が、良いことがあるように思うようになっていったのでした。
「お願い」から「感謝」へ
この考え方になってから、私の神社参拝は大きく変わりました。
以前は、「何をお願いするか」を考えていました。
今は、ほとんどお願いをしません。
神社へ行き、その場所に身を置き、手を合わせる。
そして、ご縁をいただいたことや、今こうして幸せに生きていることに感謝を伝える。
それだけです。
神様やご先祖さまが、大きな存在として自分を見守ってくださっている。
金櫻神社に通う度に、その安心感で心が満たされるようになっていきました。
色々な神社へ行く意味も変わった
そうなると、色々な神社へ参拝することへの見方も変わりました。
以前の私は、
「あちこちの神様にお願いするなんて節操がない」
と思っていました。
でも、「感謝を伝えに行く」のであれば、話はまったく違います。
会ったことのない曽祖父の家を訪ねるように、
「初めまして、おかげさまで楽しく暮らしております」
「いつも見守って下さり、ありがとうございます」
「これからより一層お近づきになりたいと思います」
と挨拶して回ればいい。
それぞれの土地に祀られている神様にご挨拶をして、ご縁を深めること。
なぜかはわかりませんが、さまざまな神社を巡る度に、不思議と安心と喜びを実感するようになりました。
神社参拝は遺伝子が喜ぶこと
考えてみれば、かつては他県に行くことも当たり前ではありません。
移動手段は徒歩か馬ですし、他県ではなく他国であり、関所で規制されていました。
現代ほど、自由に神社参拝できる時代はありません。
一生に一度、お伊勢参りに行くことが悲願とされていた時代を考えれば、今は天国です。
そう考えた時、神社参拝することは、祖先から引き継いだ遺伝子情報が何より喜ぶことのように思えてきたのでした。
日本全国の神社とご縁を深め、今生きている幸せと感謝を伝え、自分の遺伝子情報とご先祖さまである神様の周波数を共鳴させること……それが自分にとっての先祖供養のように感じたのです。
そこから、私の神社巡りは始まりました。