神社と御祭神の話|祈りのゲートと神様のネットワーク
旅先で、こんなことに氣づいたことはないでしょうか。
どこの町にも、○○八幡宮があり、○○稲荷神社がある。
自分の地元にある神社とよく似た名前の神社が、遠く離れた土地にも、当たり前のように鎮座している──。
これは同じ神様なのだろうか? だとしたら、どの神社にお参りしても、同じなのだろうか?
実は、日本の神社には面白い仕組みがあります。
神様は、分けても減らない──分霊と勧請
まず、事実の話からです。
全国におよそ3万社あると言われる稲荷神社の総本宮は、京都の伏見稲荷大社。同じく、一説には4万社を超えるとも言われる八幡神社・八幡宮の総本社は、大分の宇佐神宮です。各地の稲荷神社や八幡宮は、こうした根源の神社から神様をお迎えして建てられました。
このとき行われるのが、分霊(ぶんれい)と勧請(かんじょう)です。
分霊とは、神社の御祭神の神霊を分けること。勧請とは、その分霊を新しい土地にお迎えしてお祀りすることです。
ここに、神道の面白い考え方があります。
神様の神霊は、無限に分けることができる。そして、分けても元の神様は少しも減らず、分けられた神様も、元の神様とまったく同じ働きをする──とされているのです。
よく使われるのが、ろうそくの火の例えです。一本のろうそくから別のろうそくへ火を移しても、元の火は弱まりません。移された火も、同じように明るく灯る。どちらも同じ「火」です。
さらに言えば、神社でいただくお神札(おふだ)も、この分霊の一つとされています。神棚にお神札をお祀りするというのは、家の中に小さな分霊をお迎えしている、ということなのです。
神社は神様とつながるゲート
この仕組みを知ったとき、私はこう思いました。
日本の神社は、古来からネットワークのゲートだったのだ、と。
総本宮という根源があり、そこから全国へ分霊が広がり、末端は各家庭の神棚にまで届いている。そして、どの分霊も元の神様と同じ働きをするのですから、根源と各地のお社は、切り離されていないことになります。
銀行に例えてみましょう。
あなたが地方の小さな支店の窓口で預けたお金は、ちゃんとあなたの口座に入ります。「本店の窓口じゃないから無効です」とは言われません(笑)。窓口がどこであっても、つながっている先は同じだからです。
神社も、これと似た構造といえるのかもしれません。
近所の小さなお稲荷さんで手を合わせることと、京都の伏見稲荷大社で手を合わせること。窓口の大きさは違っても、つながっている先は、同じ神様という解釈もできるのです。
ここまでは、神道で古くから大切にされてきた、伝統の話です。
つながりの単位は、「御祭神」
ここで、この話の鍵になる言葉を、きちんとご紹介しておきます。
御祭神(ごさいじん)──その神社にお祀りされている神様のことです。神社の中心にお祀りされている神様は、主祭神(しゅさいじん)とも呼ばれます。
そして、ここまでお話ししてきたつながりは、神社というお社の単位ではなく、御祭神という神様の単位で結ばれています。
名前も場所も違う二つのお社が、同じ御祭神をお祀りしていれば、根源では同じ神様につながっているのです。
実は、神社の名前の多くは、御祭神を教えてくれています。主なものを挙げてみましょう。
- 神明神社・神明宮……天照大御神|本宗:伊勢の神宮(三重)
- 八坂神社・祇園社……素戔嗚尊|総本社:八坂神社(京都)
- 氷川神社……須佐之男命ほか|総本社:氷川神社(埼玉・大宮)
- 厳島神社・宗像神社・弁天社……宗像三女神(市杵島姫命は弁財天と同一視)|総本社:宗像大社(福岡)・厳島神社(広島)
- 出雲神社・大国主神社……大国主大神|総本社:出雲大社(島根)
- 稲荷神社……宇迦之御魂大神|総本宮:伏見稲荷大社(京都)
- 八幡神社・八幡宮……誉田別命=応神天皇|総本宮:宇佐神宮(大分)
- 天満宮・天神社……菅原道真公|総本宮:太宰府天満宮(福岡)・北野天満宮(京都)
- 諏訪神社……建御名方神|総本社:諏訪大社(長野)
- 日枝神社・日吉神社……大山咋神|総本宮:日吉大社(滋賀)
- 熊野神社……熊野の神々|総本宮:熊野本宮大社をはじめとする熊野三山(和歌山)
- 春日神社……武甕槌命・経津主命・天児屋根命・比売神の四柱|総本社:春日大社(奈良)
- 白山神社……菊理媛神|総本宮:白山比咩神社(石川)
- 住吉神社……住吉三神|総本社:住吉大社(大阪)
- 鹿島神社……武甕槌大神|総本社:鹿島神宮(茨城)
- 香取神社……経津主大神|総本社:香取神宮(千葉)
※神社と御祭神の情報は、神社ごとの御由緒によって諸説あります。上記はあくまでも参考としてお使いください。
つまり、神社の名前を見るだけで、そのお社がどの神様のネットワークにつながっているのか、おおよそ分かるのです。
ただし、上の一覧は、あくまで代表的な例です。同じ名前の神社でも、合祀の歴史や地域の伝承によって、お祀りされている神様が異なることは珍しくありません。名前だけでは御祭神の分からない神社もあります。だからこそ、参拝の際は、境内の案内板や由緒書きで、実際の御祭神を確かめてみてください。
そして、こうした神社と御祭神の情報は、そもそも「正しい」とか「間違っている」で判断できる類のものではない、と私は思っています。
少し想像してみて下さい。千年以上も前から、何万社という神社を、私たちの祖先が何世代にもわたって、日本中の津々浦々に建ててきたのです。それぞれの土地で、それぞれの人々が、それぞれの伝えを守ってきた。その情報を統一することなど、到底不可能な話でしょう。
むしろ、今の時代だからこそ、ようやくこんな話ができています。私たち一般人が、氣軽に自動車や電車、飛行機に乗って、日本中を飛び回れるようになったのは、日本の歴史で見れば、ほんのつい最近の話です。また、近年になって、各神社の社伝や、古史古伝と呼ばれる書物が表に出せるようになり、インターネットを介して、遠く離れた土地の神社の情報に容易にアクセスできるようになりました。そのおかげで、バラバラに守られてきた神様たちの情報が、ようやく今、統合され始めています。私たちは、そういう面白い時代に立ち会っているのです。
ちなみに、同じ神様でも、お名前がいくつもあることは珍しくありません。書物によって漢字も違います。先ほどの一覧でも、八坂神社は素戔嗚尊、氷川神社は須佐之男命と書きましたが、これはどちらも同じスサノオ。古事記では須佐之男命、日本書紀では素戔嗚尊と表記されているのです。大国主神にも、大己貴神(おおなむちのかみ)をはじめ、いくつもの別名があります。案内板の表記が、あなたの知っている表記と違っても、同じ神様を指していることがある、というわけです。
また、「氏神様とは」では、家系がご縁を持っていた神社と同じ御祭神の神社が近所にあるなら、それも伝統的な意味での氏神様かもしれない、という話を書きました。神社は違っても御祭神が同じなら、ご縁はつながっている──という話の根拠は、この分霊の仕組みにあります。
さらに言えば──「同じお名前なら、まったく同一の一柱の神様」とも、実は断定できないのかもしれません。古史古伝と呼ばれる書物の中には、神様のお名前は何代にもわたって受け継がれてきた役職名のようなもので、同じ名前の神様が何人もいらっしゃった、と解釈するものもあるからです。
では、御祭神という神様たちは、どういった存在なのか。天照大御神や須佐之男命の物語は、どこに書かれているのか──そのお話は、「古事記と日本書紀、そして古史古伝」に続きます。
神社は「祈りのゲート」
ここから先は、私のファンタジーとしてお読みください。
私は、神社とは祈りのゲートのようなものだと思っています。
鳥居で一礼して参道を歩き、手水で清め、神前に立つ。
あの一連の流れは、ゲートの先の神様につながるための準備のようなものです。
そして、神様には、神様同士のネットワークがある。
総本宮と分社がつながっているように、神様たちは互いに結ばれていて、情報は常に交換されている──私はそんなふうに感じています。
このネットワークは、同じ御祭神の系統の中だけの話ではありません。違う神様同士も、互いにつながっていると、私は思っています。神話を読めば、神様たちは親子であり、夫婦であり、兄弟、友人である間柄であることがわかります。それぞれの神様が持ち場を守りながら、必要な情報を交換し合っている──そんなイメージです。
実は、この話は私の個人的の想像というわけでもありません。
旧暦の10月は「神無月(かんなづき)」といわれます。全国の神様がお留守になる月とされますが、出雲では反対に「神在月(かみありづき)」と呼ばれます。この時期、全国の八百萬(やおよろず)の神々が出雲大社へ集われ、縁結びをはじめとするさまざまな事柄について、神議り(かむはかり)──神様たちの会議をなされると伝えられてきました。出雲大社では今も、神々をお迎えする神在祭(かみありさい)が毎年お仕えされています。
年に一度、日本中の神様たちが一堂に会して、会議をなさる。ご先祖さまたちは大昔から、神様とは互いに集い、つながり、相談し合う存在だと捉えてきたのです。
だから、どの神様に祈っても、大丈夫です。あなたの祈りは、ネットワークを巡って、必要なところへ届いていると私は思うのです。
ただ、これも会社と同じで(笑)、どの窓口でも話は通じますが、担当の方に直接お話しした方が、少し早いかもしれません。ご縁のことなら、縁結びの神様に。学びのことなら、学問の神様に。御祭神の得意分野を知るとそれはそれで楽しいものです。
以前のコラム「神社の小さな祠」で、摂社・末社にも手を合わせる話を書きましたが、あの小さな祠も、それぞれが立派なゲートの一つなのだと思っています。
神様は、ご先祖さまでもある
そして──神様はご先祖さまでもあります。
この神様のネットワークは私たちとご先祖さまが共有する、悠久のご縁でもあるのです。
御祭神のお名前をたどれば、神話の神様たちへ行き着く。そしてその流れのいちばん先端に、いま生きている私たちがいる。だとすれば、祈りのゲートの前に立って手を合わせることは、この壮大な家系のネットワークに、自分をつなぎ直すことでもあります。
以前から、神社参拝はヒーリングそのものだとお伝えしてきました。整った場の周波数に同調するから、というのが理屈でご説明してきましたが、別の表現もできます。
神社は、古来よりご先祖さまに同調し、守ってくださっていることに感謝しに行く場所だった、ともいえるでしょう。
神社でなぜか安らぐあの感覚の正体は、ご先祖さまに守られていることを、思い出す感覚なのかもしれません。
意識を整えるための三位一体調律(トリニティヒーリング)について詳しく見る →