神社参拝はヒーリングそのもの
神社参拝について、私も個人的な思いを書いていますが、正解はこうだと言いたいわけではありません。
人それぞれで良いのです。
その上で、私が神社巡拝ヒーラーとして、一つだけお伝えしたいのは、
「神社に通うと良いことがある」
ただ、それだけです。
難しいことを考える必要はなく、ただ神社という場所に通い続ければ良いのです(笑)
なぜかと言えば、癒されるからです。
結論は、タイトルの通り、神社参拝はヒーリングそのものである、ということです。
ここでは、なぜ神社に上がると癒されるのかを書いてみたいと思います。
神社という「場」について
氣が良い場所、波動が高い場所、という言い方は、スピリチュアルの世界で広く使われてきた表現です。
これらの場所は、整った周波数の場所という意味で、私にとっては同じです。
これは、神社や大自然だけの話ではありません。日常の中にも、氣が良い、波動が高いと感じる場所はたくさんあります。
たとえば、掃除が行き届き、物が整理整頓され、無駄なものが置かれていない空間。雰囲氣の良いカフェに入るとなぜか長居したくなるのは、美味しいコーヒーだけでなく、清潔な店内や氣が良い店員さんの丁寧な接客が生み出す「空氣」のおかげでもあるでしょう。一流と呼ばれるホテルのロビーで、足を踏み入れた瞬間に背筋が伸びるような感覚を覚えたことがある方も多いはずです。氣が良い場所には、氣が良い人が自然と集まります。
反対に、新宿の歌舞伎町や渋谷センター街のような、けたたましい騒音やネオン、絶え間ない人の流れ、人の欲やストレスが渦巻く場所は、「波動が低い」場所の代表としてよく語られます。荒れ果てた廃墟や、事故・事件のあったとされる場所も同様です。
つまり、掃除が行き届き、無駄なく整えられ、騒がしさより静けさがあること。こうした目に見える条件を、多くの人は「氣が良い・悪い」「波動が高い・低い」という言葉で、感覚的に捉えているのです。
いわゆるパワースポットと呼ばれる場所も、この延長線上にあると私は思っています。氣が良い、波動が高いとされる場所には、いくつかの共通点があります。ノイズとなるような情報が少なく、山、巨石、巨木、樹木、湧水、海といった自然の力が集まる場所であること。そして、多くの人が長い年月をかけて、喜びや感謝といった周波数の体験を積み重ねてきた歴史があること。
これらの条件が色濃く重なっているのが、神社という場所です。
氣が良い、波動が高い神社とは、行った人を良い氣持ちにさせてくれる神社です。 日々整えられ、毎日掃き清められていて、良い氣の人が集まっている場所と言えるかと思います。
さらに、古くから格式高いとされる神社の多くは、ただ人にとって便利で都合の良い場所に社殿を建てたものではなく、地形的にも何か特別なものを伴っていることがあります。
山そのものを拝む。
巨石や巨木を祀る。
湧水のある場所に神を感じる。
日本の古くからの信仰では、自然の中に神を感じ、その場所を祈りの場として、その地域の人が永きにわたって大切に守ってきました。そこから歴史を経るとともに、社殿や鳥居が建てられ、今の神社という形になった、というケースも少なくありません。
古社を調べていくと、レイライン、フォッサマグナ、中央構造線、ゼロ磁場といった言葉にも出会うことでしょう。太陽の通り道、山の稜線、水の流れ、断層や地形の切り替わる場所――これらには特別なエネルギーがあるとも考えられています。
どうして古代の人たちは、そこが特別な場所だと知ることができたのか?
実は、古くから格式高いとされる神社の立地は、天文学や測量学、地図学といった現代の知識をもってしても、いまだ解明されていない謎として語られることがあります。
少なくとも、太古の昔から、我々の祖先は天と地の変化を見ながら、「ここは人が手を合わせるべき場所だ」と感じ取ってきたのでしょう。
周波数で考えたら、神社も人も同じ
「ゼロ磁場だから波動が高い」とか「レイライン上だから特別だ」という話をしたいわけではありません。
こうした要素も、整った場をつくる一つの条件にすぎないからです。
そうした特殊な場所であっても、パワースポットの噂を聞きつけ、そのパワーに依存してエゴの欲望を叶えようとする周波数の人が大挙して押し寄せた結果、神社の周波数が乱れてしまうこともあるでしょう。
神社がパワースポットであり続けるためには、境内が掃き清められたり、定期的な修繕が行われたり、祭りが続けられたりと、物理的にも精神的にも、人々から大事にされることが必要です。
これは、周波数の話で考えれば理解しやすいと思いますが、神社も人も同じであるといえます。
どんなに周囲を明るく照らす人であっても、ゴミだらけで悪臭が漂い、ただ罵声を浴びせられるばかりの環境に置かれたらどうでしょうか。たちどころに元氣がなくなってしまいます。
多くの人々から崇敬され、愛と感謝の周波数で満たされ、現実的にも手入れが行き届いて整っている神社こそが、本当にパワーのある神社といえることでしょう。
人は、場の周波数に同調する
先の話題で神社の話として結論を先に言ってしまったようなものですが、私たちは、いつも人や場の影響を受けています。
不安や愚痴が続く場所にいれば、こちらまで世界を狭く見てしまう。
穏やかで前向きな人と過ごせば、自分の考え方まで変わっていく。
人は、人の周波数に同調します。
同じように、人は場の周波数にも同調しています。
以前の記事で、周波数の近いものどうしが響き合う、共鳴の話を書きました。
神社という場は、長い年月をかけて整えられてきた、一つの整った基準音のようなものです。
鳥居をくぐり、参道を歩き、手を清め、神前に立つ。
そのとき私たちは、ただ作法をしているだけではありません。
日常の焦りや不足感に引っ張られていた自分の周波数を、より自然に近い、静かで整った場の周波数に合わせ、整った状態へ調律しているともいえるのです。
だから、神社では無理に前向きになろうとしなくても大丈夫です。
整った場に身を置き、静かに同調しようとすれば、人は自然に、その場の周波数と共鳴し、整い始めるのです。
それは、本質的にはヒーリングセッションを受けた時の効果と同じです。
だから、神社参拝はヒーリングそのものなのです。
意識が整うと、選ぶ現実が変わる
周波数が整うと、目の前の現実そのものが急に別のものになるわけではありません。
変わるのは、まず現実の受け取り方です。
今までなら不安から断っていた誘いを、受け取れるようになる。
必要以上に反応していた相手に、静かに言葉を返せるようになる。
消耗する時間から離れ、本当に会いたい人や、行きたい場所を選べるようになる。
意識レベルが上がるとは、特別な人になることではありません。
恐れや欠乏に反応し続ける状態から、感謝や勇氣、楽しさの中で、自分の時間を選べる状態へ移っていくことだと、私は思います。
選択が変われば、出会う人も、受け取る言葉も、その先に続く現実も変わっていきます。
良い現実は、本来は偶然と突然にやってくるものではありません。
整った意識で本当に自分の心地良い小さな現実を選び続けること。
そして、整った意識の周波数は、それに見合った現実をある意味で必然的に引き寄せ始めます。
それこそが、現在の私が推奨する「引き寄せ」です。
現実を良くしたいなら神社に上がれば良い
あえて乱暴な言い方をしますが…
今現在、目の前に変えたいような現実があるのであれば、神社に通うことをおすすめします。
自宅近くの氏神様に通い詰めるでも良いですし、通りがかった神社を片っ端から参拝しても良いでしょう。
もし「お賽銭でお金がかかるし…」と思うのであれば、お賽銭は現実が整ってからでも良いはずです。
神様はお金が必要な存在ではない、と私は思います。
どうしてもお賽銭をしないと氣持ち悪いという方であれば、毎回五円玉でも一円玉でも良いのです。
当たり前の話ですが、たった百円でも、五円玉なら20回、一円玉なら100回、お賽銭箱に入れることが可能です(笑)
参拝を重ねるうちに、一般的に言われているご利益や知名度といった概念とは別の感覚が育ってくることでしょう。
もちろん、効果を保証できる話ではありませんが、結果はすでに物語っています。
勉強でも運動でもなぜか結果が出てしまう子、成功し続けている社長、常に結果を出している営業マン、自分は稼げないのにお金に不自由しない人、良いご縁に囲まれて幸せに生きている人…現実を豊かに生きている人の多くは、共通して神社に通っています。
私自身も半信半疑で神社に通い始め、現実的に生活が徐々に良くなり、今は神社巡拝ヒーラーを名乗っています。
神社参拝はお金がかからないヒーリングです。
神社という整った周波数の場に同調するだけで、人の意識は整い、周波数の高い豊かな現実を引き寄せるのです。
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