神社参拝とスピリチュアル

古事記と日本書紀、そして古史古伝|神様たちの物語は、どこに書かれているのか

神社の境内の案内板で、御祭神のお名前を見たことがあると思います。

天照大御神(あまてらすおおみかみ)、須佐之男命(すさのおのみこと)、大国主神(おおくにぬしのかみ)──。

名前はどこかで聞いたことがある。でも、どんな神様で、どんな物語を持っているのかは、意外と知らない。そんな方が多いのではないでしょうか。

神社と御祭神の話」で、神社のつながりは御祭神という神様の単位で結ばれている、という話をしました。だとすると、次に氣になるのは、その神様たちはどんな神様なのか、ということだと思います。

今回は、神様たちの物語が書かれている、日本神話の話です。


公式文書としての二つの物語

日本の神様たちの物語が体系的に残されている最古の書物が二つ存在します。

古事記(こじき)日本書紀(にほんしょき)。あわせて記紀(きき)と呼ばれます。

古事記は712年、日本書紀は720年の成立。どちらも、天武天皇が始めた歴史書編纂の事業から生まれました。それまで各氏族がバラバラに伝えていた系譜や伝承を、国としてまとめ直したものです。

二冊の性格は、対照的だと言われています。

一般に、古事記は国内向け。日本ならではの文体で、神話を一貫した物語として描いていて、全三巻のうち一巻がまるごと神代(神様の時代)に充てられています。

一方の日本書紀は、日本初の正史──つまり国が公式に編纂した歴史書です。当時の国際言語である漢文で書かれ、中国など外国を意識してまとめられたとされています。

私たちが知っている神話の多く──イザナギとイザナミの国生み、天照大御神の岩戸隠れ、須佐之男命の八岐大蛇(やまたのおろち)退治、大国主神の国譲り──は、この二つの書物に書かれています。神社の案内板に並ぶ御祭神は、多くがこの物語の登場人物なのです。


公式文書には、書けないことがある

ここで、私の見方を少しだけお伝えします。

私は、古事記、日本書紀が公式の歴史書であることを尊重しています。千三百年以上ものあいだ、日本の公式な歴史書として、かけがえのない書物でしたし、私の祖父母の時代には学校で習う内容でした。

その上で、こう思うのです。

公式文書には、いつの時代も、書けないことがある、と。

現代でも、天皇陛下のお言葉や、内閣総理大臣の公式発表に、すべての事情が書かれているわけではありません。立場上言えないこと、配慮すべき相手、まとめる過程で割愛されたこと──公式であるからこそ、載せられない話は必ずあります。

古事記、日本書紀も、当時の朝廷が国家事業として編纂した公式文書です。編纂した側の視点があり、政治的な配慮があり、採用されなかった伝承がある。これは記紀への批判ではなく、公式文書というものの、当たり前の性質の話です。

神社の小さな祠」で、歴史の事情で表舞台から退いた「隠された神様」の話に触れましたが、表舞台の物語があるということは、舞台袖の物語もある、ということなのです。


国がひとつになるまでの、諍いの物語

実は、記紀そのものにも、この国がひとつにまとまるまでの諍いの物語が、いくつも描かれています。

たとえば、国譲り。大国主神が築き治めていた地上の国を、天照大御神の系統へ譲り渡す物語です。このとき交渉の使者として降り立ったのが、武甕槌大神や経津主大神──「神社と御祭神の話」の一覧にも登場した、鹿島神宮と香取神宮の神様です(書物によって使者の顔ぶれが少し違うのも、また面白いところです)。そして、国譲りに最後まで納得しなかった大国主神の御子・建御名方神が退いた先が、諏訪。建御名方神は諏訪大社の神様として祀られています。

初代・神武天皇が九州の日向から大和へ入るまでの神武東征は、戦いの連続の物語ですし、ヤマトタケルの物語は、西の熊襲、東の国々を平定してまわる遠征の物語です。

さらに言えば、一見、国と国との争いには見えない物語の中にも、暗喩が潜んでいるのかもしれません。たとえば、須佐之男命の八岐大蛇退治。大蛇の尾から天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)が現れる有名な場面ですが、これは、大和の勢力が出雲の地を制圧し、その力の象徴である剣を手にしたことのメタファーではないか──という読み方もあります。神話の随所には、こうした暗喩が散りばめられているのかもしれないのです。

そして、神話の時代が終わってからも、諍いは続きました。平安時代には、朝廷から派遣された坂上田村麻呂と、東北の蝦夷(えみし)の族長アテルイ・モレの戦いがありました。降伏した二人の助命を田村麻呂は朝廷に願いましたが、聞き入れられなかったと伝えられています。

天皇のもとに日本がひとつになるまでには、それぞれの土地に、それぞれの民がいて、それぞれの神々の物語があったのです。

勝った側の物語は、正史に残ります。譲った側、退いた側、敗れた側の物語は──社伝や伝承、そして境内の隅の小さな祠に、静かに残されている。先ほど触れた「隠された神様」の背景には、こうした歴史があります。


日本書紀は、最初から「諸説あり」と言っている

そして、最も興味深いところですが…

日本書紀の神代の巻を開くと、独特の書き方に出会います。本文(本伝)で一つの物語を語った後に、「一書(あるふみ)に曰く」として、別の伝えがいくつも併記されているのです。

たとえば国生みの場面では、本伝のほかに、一書が10も並んでいます。「ある書ではこう伝えています」「また別の書ではこうです」と、10通りの語りが、正史の中に堂々と載っている。

つまり、日本初の公式の歴史書は、最初から「唯一の正解」を主張していないのです。

いろんな伝えがある。どれも大切に残しておく──。

一つの出来事に、いくつもの物語の線が、並んで走っている。日本書紀とは、いわば元祖パラレルストーリーなのです。

「正しい歴史は一つ」と決めつけず、異なる伝えを消さずに残したご先祖さまたちの態度は、千三百年後の私たちが物語とどう向き合えば良いかの、最高のお手本かもしれません。


古史古伝という、さらなる神話

さて、神様たちの物語を伝える書物は、実は古事記、日本書紀だけではありません。

古史古伝(こしこでん)と呼ばれる書物群があります。ホツマツタヱ、竹内文書、カタカムナ──記紀とは異なる文字や視点で、記紀に書かれていない時代や物語を伝えるとされる書物たちです。

また、神社には社伝という、それぞれの神社独自の言い伝えがあります。正史には載らない物語という意味で、これらも広い意味では古史古伝の仲間といえるかもしれません。

先に、正直にお伝えしておきます。ホツマツタヱや竹内文書などの古史古伝は、学術的には後世に作られたもの──いわゆる偽書──とされているのが通説です。

私は、その真偽を裁く立場にありません。

ただ、こうも思うのです。日本書紀が「一書に曰く」と異伝を併記したように、古史古伝もまた、「また別の書では、こう語られている」という一書のようなもの。正史が採らなかった舞台袖の物語として読むなら、真偽の裁判をしなくても、十分に興味深い話です。

近年は、神社が社伝を表に出す時代であるとして、公開される神社も増えているようです。

この風潮から、今後は日本の歴史に新たな発見が次々と起こるかもしれません。

古史古伝に対しても、「どれが正しいか」をジャッジするのではなく、「ここでは、こんなことが書かれている」を楽しめば良いと私は思っています。


別に読まなくても良い

私は「古事記、日本書紀を読みましょう」と言いたいわけではありません。

もちろん、こういった話がお好きな方は読んだら良いですし、日本神話は学術的にも研究テーマとしても壮大なものです。

ただ、私自身は、古文を読む氣にはなりませんし、これらの書物を丁寧に読んだわけではありません。

私は神社参拝をするにあたっての情報収集をしていたときに、YouTube上で日本神話のことを紹介していた動画を観たのがきっかけで、それ以来多くの日本神話や古史古伝の動画を楽しく観ているだけです。

こうした物語を深く語ってくださる研究者や語り手の方々が、今はYouTubeなどにたくさんいらっしゃって、それぞれが独自の考察をされています。

おかげさまで、活字の苦手な私でも、こうした高尚な情報に楽しく触れることができるようになったのですから、本当に良い時代になったものです。

こうした神話の情報に触れていると…

この神様がこの土地に祀られているのは、こういう意味かもしれない。主祭神がこの神様だから、あの神様が摂社に祀られているのも納得。表舞台から消えたあの神様は、この土地の小さな祠で、今もお祀りされているのではないか──。

などと想像しながら、楽しく神社参拝ができるものです。


神話から見えてくるもの

こうした神様の物語に触れていくうちに、私自身も大きな氣づきがありました。

それは「正しい」は存在しないということです。

日本神話の神様たちは、とても人間臭く描かれます。

怒り、泣き、嫉妬し、恋をして、失敗もする。天照大御神ですら、弟の乱暴に心を痛めて、岩戸に隠れてしまう。神様たちは、完全無欠の存在としてではなく、良いところも未熟なところも併せ持つ存在として描かれています。

公式文書である記紀ですら、神様を絶対的に「正しい」存在として描いていません。

善と悪、光と影を、一柱の神様が両方持っている。日本神話は最初から、世界を「正しい側」と「間違った側」に分けていないのです。

勝った側にも、譲った側にも、退いた側にも、それぞれの事情があった。そのことを尊重する姿勢が日本神話にはあり、だからこそ、千年の時を越えて現在にまで残ったのかもしれません。

それは、「以和尽礼」で書いた、和を以て礼を尽くすという話にもつながる姿勢です。

そして、もう一つ。日本神話をより深く味わうための、お伝えしたい視点があります。

これらの物語を、自分には関係のない遠い昔話としてではなく、ご先祖さまの話として読んでみてください。神様は、私たちの遠いご先祖さまでもあるからです。

あなたには、数えきれないほどのご先祖さまがいます。十代さかのぼれば千人を超え、二十代さかのぼれば百万人を超える計算です。千年を越える物語の中で、そのご先祖さまたちが、勝った側だけにいたはずがありません。譲った側にも、退いた側にも、敗れた側にも──神話と歴史の両側に、あなたのご先祖さまたちはいたはずなのです。

そう捉えたとき、どちらかを裁く心は、自然と消えていきます。どの物語も、自分につながる誰かの物語。日本神話とは、他人事の昔話ではなく、私たち一人ひとりにつながる、壮大な家族の物語なのです。

思えば、「一書に曰く」と異伝を併記した日本書紀の編纂も、同じ心だったのかもしれません。

私がこの話を書いているのは、これらの物語や歴史が「正しい」と何かを裁くためではなく、これからのためです。

こちらの「正しい」で相手をジャッジしようとする心こそが、諍いの根源にはあります。

諍いの果てに、どの物語も消さずに残そうとしたご先祖さまたちの心を、受け取ること。敗れた側にも、勝った側にも、事情があったことを察して、手を合わせること。

和を以て礼を尽くす姿勢、その一つひとつが、これからの平和と、私たちの意識を愛と調和へ引き上げていく道につながっている──私は、そう信じています。

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著者|白川愁士(世界線調律所 所長/神社巡拝ヒーラー)
不動産投資家。お金を追い求めた末に、神社参拝が日常となり、結果的に「神社巡拝ヒーラー」となった。現在は三位一体調律(トリニティヒーリング)で心・身体・現実(お金の流れ)を整えている。宅建士・FP保有。 ▶ プロフィール