春分と秋分はなぜお彼岸なのか|先祖供養と太陽の道
春分の日と秋分の日。
どちらも、お彼岸の中日です。
春も秋もお墓参りへ行き、ご先祖さまに手を合わせる。
お盆が8月なら、翌月の9月もお彼岸で先祖供養の行事が続きます。
なぜ、春分と秋分に先祖供養なのでしょうか。
春分と秋分は、もともとは地球と太陽の位置関係によって決まる天文学的な日です。
この二日に共通することは、太陽がほぼ真東から昇り、真西へ沈むことです。
春分と秋分は太陽の道のセンターライン
天文学では、太陽が天球上の春分点を通過する瞬間が春分、秋分点を通過する瞬間が秋分です。
国立天文台では、太陽黄経0度が春分、180度が秋分とされています。春分・秋分の太陽は、地上から見るとほぼ真東から昇り、真西へ沈みます。
一年を通して、日の出と日の入りの位置は少しずつ動いています。
夏至には日の出も日の入りも北寄りに極まり、冬至には南寄りに極まります。
中間にあたる春分と秋分は、「真東」と「真西」というセンターラインを通ります。
この「真西」が、お彼岸と深く関係しています。
彼岸とは、向こう側の岸
「彼岸」とは、
彼の岸。
向こう側の岸という意味です。
仏教では、私たちが生きている迷いや苦しみの世界を「此岸(しがん)」、そこを越えた悟りの境地を「彼岸」と呼びます。
浄土教では、彼岸を、阿弥陀如来のいる西方極楽浄土と重ねて捉えてきたようです。
『観無量寿経』には、西へ沈む夕日を見ながら極楽浄土を思い描く「日想観」という修行が説かれているそうです。
中国・唐代の善導大師は、春分と秋分には太陽が真西へ沈むことから、その彼方にある西方極楽浄土へ思いを向けるのに適した日であると説きました。
なぜ春分と秋分がお彼岸なのかの答えは、
太陽が真西へ沈むから
ということになりそうです。
昔の人は真西に沈む夕日を見ながら、その向こうにある目には見えない彼岸へ意識を向けていたのかもしれません。
お彼岸は日本で生まれた
ただし、春分と秋分を中心として先祖供養を行う現在のようなお彼岸は、日本で形成された行事のようです。
日本における古い記録として、『日本後紀』には平安時代初期、崇道天皇のために、諸国の国分寺で春と秋それぞれ七日間にわたり『金剛般若経』を読ませたことが記されています。
この頃にはまだ「彼岸」という言葉は使われていませんでしたが、その後、春分・秋分の夕日に西方極楽浄土を見る浄土教の信仰が、日本にすでにあった先祖供養の風習と結びつき、現在のお彼岸が形づくられていったと考えられています。
神社本庁も、お彼岸は日本にしかない行事であり、
太陽をまつり、祖霊の加護を祈る古くからの儀礼と結びついたもの
と説明しています。
仏教や日本古来の祖霊祭祀など、いくつもの信仰が重なりながら、日本のお彼岸になっていったようです。
現在の祝日法では、
春分の日は、
「自然をたたえ、生物をいつくしむ。」
秋分の日は、
「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ。」
とされていますが、現在も宮中では、春分の日に春季皇霊祭、秋分の日に秋季皇霊祭が行われており、宮内庁は、その両方を「ご先祖祭」と説明しています。
太陽神である天照大御神を皇祖神とし、太陽が真東から昇り、真西へ沈む春分と秋分に、先祖のために祈る宮中祭祀が今も執り行われている。
太古からの太陽信仰が、現在の日本にも受け継がれている証とも捉えることができます。
玉前神社から出雲大社へ続く「御来光の道」
千葉県の上総国一之宮、玉前神社。
その一の鳥居は真東を向いています。
春分と秋分の日には、九十九里の海から昇った太陽が、この鳥居を正面から照らします。
そして、この日の出と玉前神社を結ぶ線をそのまま西へ伸ばしていくと、
玉前神社→寒川神社→富士山山頂→七面山→琵琶湖の竹生島→元伊勢・皇大神社→大神山神社→出雲大社
といった神社や霊山が並びます。
玉前神社では、この線を、「御来光の道(レイライン)」と呼んでいます。
春分と秋分の太陽が通る東西の直線上に、古社や霊山が重なっているのです。
また、奈良の大和盆地にある、古事記や日本書紀にも創祀の伝承が描かれる、大神神社周辺にも太陽信仰を思わせる配置があります。
春分と秋分の日、太陽は東の三輪山から昇り、西の二上山を越えて大阪湾へ沈みます。
奈良県でも、この東西軸に沿って敷かれた竹内街道・横大路を「太陽の道」と紹介しています。
古くからの重要な神社だけでなく、こうした山そのものが、春分・秋分の日の太陽の東西軸に重なっているという事実も、太陽が大いなる力を持つかのように感じる不思議な話です。
お盆には迎え、お彼岸には会いにゆく
同じ先祖供養でも、お盆とお彼岸には少し違いがあります。
お盆では、迎え火を焚き、ご先祖さまを家へ迎えるのに対して、お彼岸では、お墓へ出向いて手を合わせるというのが一般的な習わしです。
神社本庁も、お盆を祖先の霊を家へ迎える行事とする一方、お彼岸には祖先に「会いにゆく」行事としての色彩が濃いと説明しています。
向こうからこちらへ迎えるお盆。
こちらから向こうへ会いにゆくお彼岸。
どちらもご先祖さまへ意識を向ける時間ですが、元になっている考え方に違いがあるようです。
お盆は月と星、お彼岸は真西に沈む太陽
旧来のお盆は旧暦の七月十五日なので、ほぼ満月ということになります。
そして、その八日前の七夕には星と天の川を見上げます。
七夕とお盆は今では別々の行事に見えますが、七夕を「盆はじめ」として、ご先祖さまを迎える準備を始める地域もありました。
七夕には織姫と彦星を見上げ、お盆には満月に近い月の下でご先祖さまを迎えるのが、旧来のお盆の風習といえます。
さらに夏の天の川を辿った先には銀河の中心があり、その中心付近には巨大ブラックホール「いて座A*」があります。かつての日本人は、その夜空の先を「あの世」と見ていたのかもしれません。
今でも、亡くなった人について「お星さまになった」と表現することがあります。
こうして見ると、お盆には、月、七夕の星、天の川といった夜の月・星信仰が重なって見えます。
一方、お彼岸にあるのは、真東から昇り、真西へ沈む春分・秋分の太陽です。
昼の世界を照らしていた太陽が真西へ沈み、やがて夜になる。
その太陽の彼方に死後の世界を見て、ご先祖さまへ意識を向ける感覚が、春分と秋分を先祖供養の日にした背景にもあるのかもしれません。
お盆は、月と星の夜空へ。 お彼岸は、真西へ沈む太陽へ。
同じ先祖供養でも、意識を向ける対象が違うというのも興味深いところです。
先祖供養とは自分がどこから来たのかを遡ること
私は、先祖供養とは、自分という存在に意識を向けることでもあると考えています。
自分には、父と母がいて、祖父母がいる。
さらにその上にも会ったことのない、数え切れないご先祖さまがいます。
一代遡るごとに先祖の数は倍になり、遠くまで遡れば、私たちは膨大な数の先祖を互いに共有するようになります。
そして、その先を遡れば、天照大御神や須佐之男命をはじめとする神々もまた、私たちの遥か遠いご先祖さまとして捉えることができます。
さらに人間そのものを遡れば、生命へ、自然へ、地球へ、そして宇宙へとつながっていきます。
「とほかみえみため」の遠つ御祖の神とは、宇宙かもしれません。
ご先祖さまを通じて、この宇宙の限りない縁起に意識を向けること。
そして、無数に存在する世界線の中の一つの奇跡として、今の自分が存在している。
「おてんとうさま(御天道様)が見ている」の言葉通り、太陽は人類以前から地球の営みを見ていた存在です。
太古のご先祖さまと同じように、私たちは太陽という存在を祀り、太陽の恵みに感謝しています。
そして、その太陽が真西に没していく夕日の姿を人の営みに重ねて、先祖に感謝の意識を向ける。
太陽を通じて、ご先祖さまとその集合体である自分に意識を向ける日が、春分の日と秋分の日なのかもしれません。
著者|白川愁士(世界線調律所 所長/神社巡拝ヒーラー)
不動産投資家。お金を追い求めた末に、神社参拝が日常となり、結果的に「神社巡拝ヒーラー」となった。現在は三位一体調律(トリニティヒーリング)で心・身体・現実(お金の流れ)を整えている。宅建士・FP保有。 ▶ プロフィール