冬至とは|太陽の死と再生の日
冬至といえば、かぼちゃを食べて、柚子湯に入る日。
今ではそのくらいの印象かもしれません。
けれど、冬至は一年の太陽の運行の中でも、非常に大きな転換点です。
一年で最も昼が短く、夜が長い。
太陽は一年で最も低くなり、日の出と日の入りも南へ極まります。
ところが、その日を境に流れは反転します。
翌日から、昼の時間は少しずつ長くなっていく。
つまり冬至とは、
太陽が最も弱まる日であり、同時に太陽が再び生まれ始める日
でもあります。
日本の古い暦や宮中祭祀、そして天岩戸神話を見ていくと、この「太陽の死と再生」を思わせるものがいくつも見えてきます。
冬至は太陽が最も弱まる日
冬至は二十四節気の一つで、太陽黄経270度となる時です。
北半球では、一年で昼が最も短く、夜が最も長くなります。
春分と秋分には、太陽はほぼ真東から昇り、真西へ沈みます。
そこから冬へ向かうにつれて、日の出と日の入りは南へ移動していき、冬至で最も南へ極まります。
しかし、極まった日を境に反転し、冬至を過ぎると、太陽は再び北へ戻り始め、昼の時間も長くなっていきます。
一年で最も光が少なくなる日が、そのまま次の光の始まりになるのです。
この冬至の性質を表す言葉が、一陽来復です。
『易経』では、陰が極まったところに一つの陽が生まれ、再び陽の気が戻ってくると考えます。
冬至は、まさにそれを太陽が見せている日です。
冬至そのものも宮中で祝われていた
古代の宮中では、冬至そのものも特別な日として祝われていました。
『続日本紀』の神亀2年(725年)には、聖武天皇が大安殿に出御し、「冬至賀辞」を受けたことが記録されています。
親王や侍臣たちが珍しい品々を献上し、文武百官や役人、大学博士らを招いて、終日宴が開かれました。
この冬至賀は、冬至そのものを祝う行事でした。
冬至を含む「十一月」は重要祭祀の月
宮中祭祀を理解するために、昔の暦について少しだけ知っておく必要があります。
現在の冬至は、12月21日か22日頃ですが、古い記録を読むと、冬至に関係する祭祀が「十一月」に行われたと書かれています。
冬至は12月なのに、十一月?と思われるかもしれませんが、これは昔の日本が現在とは違う暦を使っていたことによるものです。
昔の日本では、月の満ち欠けと太陽の動きを組み合わせた太陰太陽暦が使われていたので、新月の日を一日として一か月が始まり、次の新月が来ると次の月になります。
そのため、昔の十一月と現在の11月は一致せず、冬至を含む月を「十一月」とする、ということが、太陰太陽暦の基本的な決まりでした。
つまり、現在の暦なら12月21日から22日頃に迎える冬至を、その中に含んでいる月が、昔の「十一月」であり、古くから十一月は、霜月(しもつき)とも呼ばれてきました。
平安時代の法令集『延喜式』によると、十一月、つまり冬至を含む霜月には、
鎮魂祭→新嘗祭→豊明節会という祭祀が続いていたそうです。
十一月の中寅日に鎮魂祭、その翌日の中卯日に新嘗祭、さらに翌日の「中辰日」には豊明節会が行われるという、連続した流れがあったのです。
豊明節会は現在の恒例行事としては残っていませんが、現在も宮中では11月22日に「鎮魂の儀」、翌23日に新嘗祭が行われており、古代に見られた「鎮魂から新嘗」という祭祀の流れは、現在の宮中にも残っています。
鎮魂祭で御魂を振り起こす
冬至の頃、太陽は一年で最も低い軌道を通り、昼は短く、夜は長くなります。
草木は枯れ、動物の活動も少なくなり、自然全体の生命力が弱まったように見える季節です。
太陽の力が最も弱くなる季節に、人の御魂も振り起こす。
現在の感覚で「鎮魂祭」と聞くと、亡くなった人の魂を慰める祭りのように感じますが、古代の宮中における鎮魂祭は、天皇や中宮の御魂のために行われる祭祀でした。
この古い鎮魂には、御魂を鎮めるだけではなく、御魂を振り起こし、生命力を高めるという「御魂振り」の意味があります。
奈良の石上神宮には、現在もこの御魂振りの神事が残っており、宮中と同じように、11月22日に「鎮魂祭」、翌23日に「新嘗祭」を行っています。 石上神宮では、太陽が最も弱く、土地の生命力も衰える冬に、人の魂と神々の世界を結ぶ「玉の緒」を振ることで魂を刺激し、生命力を高めると説明されています。
新嘗祭で新しい命をいただく
新嘗祭は、その年に収穫された新穀を皇祖をはじめとする神々へ供え、天皇自身も召し上がる祭りです。
御魂を振り起こして、新しい穀物をいただく。
新しい米は、その年に太陽と水と大地によって育った、新しい生命でもあります。
衰えた御魂を整え、その翌日に新しい生命を身体へ取り入れる。
冬至を太陽の死と再生として見ると、この二つの祭祀も同じ流れの中にあるように見えてきます。
太陽と月の同時再生を祝う「朔旦冬至賀」
先ほど、昔の暦では、冬至を含む月を十一月とすると書きましたが、旧暦では新月の日が、その月の一日です。
そのため、冬至と新月が同じ日になれば、十一月一日が冬至になります。
これが朔旦冬至です。
冬至を境に、太陽は再び力を取り戻し始め、新月を境に、月も再び満ち始める。
つまり朔旦冬至は、太陽と月が同時に新しい周期へ入る日とも見ることができます。
二十四節気の基点である冬至と、月の満ち欠けの基点である新月。
その二つが重なる日は、およそ19年ごとに巡ってくる特別な冬至として、古くから宮中で朔旦冬至賀として祝われてきました。
延暦3年、784年には祝賀や免税が行われ、その後も朔旦冬至には宮中で祝賀が行われていたそうですし、朔旦冬至賀は明治三年に廃止されるまで長きに渡り続いてきました。
それまでの日本人にとって、太陽の始まりと月の始まりが重なることには、大きな意味があったということです。
冬至と天岩戸神話
そして冬至を「太陽の死と再生」という視点で見ると、非常に興味深い神話があります。
天岩戸神話です。
須佐之男命が高天原で乱暴を重ねたことで、天照大御神は心を痛め、天岩戸へ籠もってしまいます。
太陽神の天照大御神が世界から姿を消した。
すると高天原も地上も暗闇に包まれ、さまざまな災いが起こり、世界そのものが夜になってしまったのです。
困った八百万の神々は、天安河原へ集まります。
そして思金神を中心に、天照大御神を岩戸から呼び戻すための祭りを始めます。
長鳴鳥を鳴かせ、鏡をつくり、勾玉をつくり、榊を用意し、祝詞を奏上する。
そして天宇受売命(あめのうずめ)が舞う。
神々は笑い、岩戸の外は大騒ぎになります。
天照大御神は、
「私が隠れて世界は暗闇のはずなのに、なぜ皆は楽しそうなのか」
と不思議に思い、岩戸を少し開きます。
そこへ鏡を差し出す。
天照大御神は鏡に映った自分の姿を見て、さらに岩戸から身を乗り出します。
その瞬間、天手力男神(あめのたぢからお)が天照大御神を外へ引き出しました。
そして、世界に再び光が戻ります。
天岩戸神話には、さまざまな解釈があります。
日食を表したという説などもありますが、冬至の太陽の死と再生を表しているのではないかという見方もあります。
また、榊、鏡、玉、祝詞、舞といった、現在の神道祭祀にもつながるものが、この神話の中にすでに登場しています。
太陽神が隠れ、世界が闇になる。
神々が鏡を用意し、舞い、祝詞を奏上し、祭りを行う。
そして太陽神が再び現れ、世界に光が戻る。
こうして並べると、
太陽が死に、祭祀によって再び生まれる物語
として読むこともできます。
國學院大學の谷口雅博教授も、冬至を太陽が最も弱る時期であり、その翌日から太陽が復活・再生していく日と捉え、冬至の時期に行われた鎮魂祭や大嘗祭と、天岩戸神話との重なりを指摘しています。
太陽神を再びこの世界へ迎えるために、八百万の神々が祭りを行ったという物語は、日本神話と神道祭祀の中心的な象徴として、今も語られているのです。
冬至の朝、伊勢神宮の鳥居から太陽が昇る
この太陽の再生を思わせる光景を、現在の日本でも見ることができます。
天照大御神を祀る伊勢の神宮、皇大神宮(内宮)です。
内宮の入口にある宇治橋では、11月下旬から1月下旬にかけて、大鳥居の向こうから昇る朝日を見ることができます。
そして冬至の頃には、太陽が大鳥居の正面から昇ります。
一年で最も昼が短くなり、そこから再び光が増え始める冬至。
その朝、太陽神である天照大御神を祀る神宮の大鳥居から、朝日が姿を現す。
神宮も、冬の宇治橋から昇る朝日を「新しい始まりと希望を告げる」光景として紹介しています。
冬至を太陽の死と再生の日として見ると、とても象徴的な光景です。
新しい太陽
現在の私たちは、1月1日を一年の始まりとして、新しい年を迎えます。
多くの人が同じ日に「今年はこうしよう」と気持ちを新たにするのですから、正月は大きな集合意識の切り替わる日でもあります。
けれど、太陽の動きだけを見れば、その約10日前の冬至に、すでに大きな転換点を迎えています。
冬至は、一年で最も夜が長い日であり、太陽の力が、最も弱く見える日です。
しかし、その同じ日を境に、太陽は再び戻り始めます。
一陽来復で陰が極まり、陽が生まれる。
古くからの太陽信仰という視点では、正月まで待たなくても、太陽は冬至からすでに新しい周期を始めています。
その意味では、太陽の一年は冬至から新しく始まると見ることもできます。
冬至とは、太陽の死と再生の日。
暦の上での新年は1月1日から始まるとしても、今年一年を振り返りながら不要なものを手放し、新しい世界線へ歩き始める。
その兆しは、1月1日を待たず、冬至からすでに始まっているのかもしれません。
著者|白川愁士(世界線調律所 所長/神社巡拝ヒーラー)
不動産投資家。お金を追い求めた末に、神社参拝が日常となり、結果的に「神社巡拝ヒーラー」となった。現在は三位一体調律(トリニティヒーリング)で心・身体・現実(お金の流れ)を整えている。宅建士・FP保有。 ▶ プロフィール